尼崎市は戦後、市民の食生活を満たすため水産・青果を一体とする総合卸売市場建設の必要に迫られ、従来の尼崎市中央魚菜市場(昭和25(1950)年6月開場)を廃止し、新たに中央卸売市場法に基づく生鮮食料品総合卸売市場を開設するため、昭和27(1952)年4月11日農林大臣の認可を受けました。
翌昭和28(1953)年11月8日より中央卸売市場として業務を開始し、その後も逐次、施設の充実や業務の指導などに努めるとともに、常に新鮮な食料品の供給に努め、業績は以前をはるかにしのぐまでになりました。その間、工業都市として躍進を続ける市勢は人口50万人を超え、それに並行して集荷も増加し、買出人等による混雑が顕著になってきました。そこで市場敷地並びに施設の狭さによる市場機能の麻ひ状態を打開するため、昭和39(1964)年から3か年計画で敷地において6倍、約6万平方メートルの現在地に近代的な新市場を建設することとなったのです。
昭和42(1967)年10月2日、近隣各都市100万人の台所を満たすべく期待を担って新市場での業務を開始しました。
開場以来、取扱高は急激に増加し、翌昭和43(1968)年には取扱量が約10万トンになりました。特に水産物では前年に比べ3倍強、約12,000トンの取扱実績をあげました。
こうした増加によっても、なお完全には需要を満たせないため、昭和44(1969)年に水産物仲買売場20店舗を、昭和46(1971)年には近郷軟弱野菜卸売場を増設しました。昭和47(1972)年には冷蔵庫2,000トンを増設するとともに、その屋上に53台収容の特設駐車場を設置しました。
また、昭和56(1981)年度から10か年計画で施設の改良を図り、昭和57(1982)年から昭和58(1983)年6月にかけては卸売場、加工場、倉庫、屋上駐車場などを建設し、昭和62(1987)年から昭和63(1988)年にかけて冷蔵庫エレベータの改修、汚泥脱水処理施設の建設、バナナ発酵庫などの改築を行ってきました。
さらに、平成8(1996)年度には、汚水管整備工事を行い、また、増えつづけている発泡スチロール容器の処理を図るため、場内に減容機システム機器を設置し、リサイクルに役立てるとともに、平成13(2001)年度には、市場機能を高めるため、青果部卸売場に低温卸売場を設置(4か所)し、生鮮食料品の鮮度維持に努めています。
そうした中、平成15(2003)年11月には、開設50周年を迎え、記念式典及び農林水産大臣等の表彰を行いました。
しかし、近年における卸売市場をめぐる環境の変化を受けて、平成16(2004)年6月、卸売市場法が一部改正され、翌平成17(2005)年に公表された国の中央卸売市場整備計画において、中央卸売市場の適正配置の観点から、全国の中央卸売市場のうち本市場を含む10市場が再編基準に該当し、5つの再編方向が示されました。これに伴い、市場内業者を中心に設置した再編検討委員会において、地方卸売市場への転換を決定しました。そして、平成18年12月に開催された尼崎市議会定例会において、尼崎市公設地方卸売市場業務条例を上程、可決されるとともに平成19年3月2日、兵庫県知事の許可を受け、同年4月1日から、公設地方卸売市場に転換しました。
平成19年(2007)年4月25日には、市場における業務及び売買取引の運営、施設の管理その他市場の運営に関する重要な事項を調査、審議する機関として、尼崎市公設地方卸売市場運営委員会を設置し、生鮮食料品等の生産や流通及び消費に関する学識経験を有する者及び卸売業者等市場内関係者15人以内の委員により、食の安全・安心の確保と流通環境の変化に対応した阪神地域の地域拠点市場づくりや今後の市場のあり方について検討を行っている。
平成25(2013)年、開設60周年を迎え、11月13日記念式典を開催、市場運営に功労のあった関係者に対し、県知事感謝状、市長表彰の贈呈を行った。同年、12月31日に青果部卸売業者が経営不振を理由に操業を停止したことを受け、翌26(2014)年1月から市場機能を確保するための暫定措置として、開設者である市が業務条例第49条第2項に基づく、卸売の業務の代行を実施することとし、その実務を尼崎青果卸売協同組合に委託するとともに、後任となる青果部卸売業者の入場に向けた取り組みを行うこととなった。
平成27年3月に、後任青果部卸売業者としての入場について要請を行ってきた神戸市中央卸売市場本場の神果神戸青果株式会社より、同年秋頃に入場する旨の回答を得られたため、入場に向けた調整・事務手続を進めるとともに、卸売の業務の代行については同年4月より、同社へ委託することにより実施している。